阅读练习5
私たちが物をたべたとき、その前と後で私たちの体重はどのように変化するのだろう。たとえば、いま100グラムのくだものを食べたとして、体重は何グラムふえるだろうか。答えは100グラムである。あたり前じゃないかと怒ってはいけない。それは食べたすぐ後の話なのだ。では、食べてから時間がたったらどうなるだろうか。
今から380年ほど前、あるイタリアの学者が、食べ物の重さと体重の関係を知るために、自分の体を使って体重の変化をこまかく調べた。まず、人間が乗ることのできる大きなはかりを特別に作り、その上に何日間もすわりつづけて、1食べたりのんだり、大便や小便をしたりした。そして、そのたびに体重の変化をていねいに計って調べたのである。
最初、その学者が考えたのは、食べたり飲んだりした物の重さから、外に出した大便や小便の重さを単純に引き算した分だけ体重はふえるだろう、ということだった。ところが、実験をしてみた結果、A彼が考えていたほど体重はふえなかったのである。彼は実験に間違いがあったのかもしれないと思って何回もやりなおしてみたが、結果はやはり同じだった2彼は困ってしまった。おそらく、食べ物や飲み物の一部は、何か目には見えない物となって体の外へ出て行ってしまったのだろう、結局、彼はそう考えた。そう、彼は3間違っていなかった。
では、その4目に見えない物となって出て行ったのは何か。一つは汗である。人間の体からは、たとえじっとしていても、一日に1キロちかくの汗が外に出ていく。この汗のことについてはイタリアの学者も考えていた。もう一つは息を吐くときに出る炭酸ガス、5これは彼の時代よりずっと後になって、あるイギリスの学者が調べたことだが、体重68キロの人は一日に約0、7キロの酸素を取入れて約0、82キロの炭酸ガスを出しているという。つまり、人間の体重は、呼吸をするだけで、一日に約0 、12キロずつへっていくことになるわけである。
大変な苦労をして実験をした6学者も、残念ながら、7このことにまでは気がつかなかった。そのころは、空気はただ空気とだけ考えられていて、酸素や炭酸ガスなどいろいろな気体からできているとは考えられていなかったからである。
問11「食べたり飲んだり、大便や小便をしたりした」とあるが、だれがそれをしたのか。
1実験を頼まれた人2実験を手伝った人3実験を見ていた人4実験をした人
問22「困ってしまった」とあるが、なぜ困ってしまったのか。
1計算するのが大変だったから。2期待どおりの結果が出なかったから。
3実験に間違いがたくさんあったから。4何日間も動くことができなかったから。
問33「間違っていなかった」とあるが、何が間違っていなかったのか。
1彼が考えたこと 2彼が困ったこと3彼が怒ったこと4彼が気がつかなかったこと
問44「目に見えないもの」とあるが、それは何か。
1食べ物や飲み物2大便や小便3汗と炭酸ガス4気体と酸素
問55「これ」に含まれる内容として適当なものは、次のどれか。
1イタリアの学者が考えたこと2一日に約一キロの汗が外に出て行くこと
3酸素を取り入れ、それ以上の重さの炭酸ガスを出していること 4体重68キロの人は体重が増えつづけること
問6ここで6「学者」というのは、何を調べようとした学者のことか
1食べ物と体重の関係 2呼吸と体重の関係3炭酸ガスと酸素の関係4汗と呼吸の関係
問77「このこと」とは何のことか。
1体重68キロの人は体重が少しずつへること2私たちのまわりには空気があること
3呼吸をするだけで体重がへること4空気がただの空気であること
問8(A)「彼が考えていたほど体重はふえなかった」とあるが、それはなぜか。文章全体から考えて答えなさい。
1食べた後で体重を計ったから2目に見えない物ができなかったから。
3彼の計算に間違いがたくさんあったから。4彼はあまり汗をかかなかったから。
おじさんの中学生のときはどうだったろう。
いたずら好きのAと仲良しだったときがある。野球のうまいBや、頭のいいCや、家が貧しいけれどマジメなDと仲良しだったときもある。でも、クラスが変わるたびに友だちが変わっていき、1中学の三年間を通じて一人の友達と深く付き合うことはなかった。Dとは夏休みにいっしょにアルバイトをやったりして「親友」みたいだったのに、いつの間にか付き合わなくなっている。
2これはだれでもそうじゃないかと思うんだ。友達は変わってゆく。その場かぎりのつきあいといえば言えなくはないけど、自分の求めているものが変わってゆくから、3相手を自然に変えてゆくのだと思う。
おじさんの場合、いたずら好きのAと仲良しだったときは、おじさんもいたずらがしたかった。いたずらをして気持ちがスカッとすることを求めていた。でもいたずらではほんとうに気持ちがスカッとしないことにやがて気づいて、Aとつきあわなくなった。BやCやDについても、そのときどきにおじさんが求めていたものを、彼らがあたえてくれたんだね。意識したわけじゃないけど、そのときの自こうした相手を「友達」と呼べないかというと、そうではないんだね。